文学

2009年8月27日 (木)

「1Q84」、読んだ?

 「1Q84」を読んだのbook

 今や社会現象になっている村上春樹の『1Q84』、私もお仕事柄、読んでおくべきなのですけど、実はあんまり小説って読まないので……(それでも著述業なの、私sign02sweat01 でも、最近はワル子リアル星桜さんからたくさん本を借りて読んでいるのshine

 さて、そんなある日、廊下でワル子と会ったら、唐突に「昨日、『1Q84』を買ったのheart02」というのね。世間の無知な人と同じく、ワル子も「ふーん、IQ84か~」と完全に知能指数のお話と勘違いしてたらしいのね(うちの父もそうでしたsweat02)。それで、会議室で少し見せてもらったの、パラパラとhappy01 うん、それだけだぉ?(って、ぜんぜん読んでねぇsweat02

 「羊をめぐる冒険」book

 そんな私ですけど、母が買ってきた村上の『羊をめぐる冒険』の上巻はとっとと読み終えたの。証拠写真もあるの。

 Hitsuji

 でも、むしろ後白河さん的には村上の周辺にある古書のほうが気になるかも……。これ、硫黄島の栗林中将も学んだ旧制N中学(今のN高校)の蔵書なの。ちょっとしたご縁で母校の図書館からいただいたものなのね。左のほうにある義公生誕三百年記念会による『大日本史』(昭和3年)には侯爵水戸徳川家の蔵書印が生々しく押してあるの。あとは『本朝文粋』とか『吾妻鏡』とか『官職要解』、『祝詞新講』……あ、『楽器図鑑』もあるねhappy01

 『官職要解』は新訂版が文庫でも出ていて、偶然にも当時、京大理学部にいた同級生のS博士からもらったの。S博士からはワーグナーの『ローエングリン』のフルスコアももらってしまって……。当時、オーケストラ曲をさかんに書いていた私にはちょうどいい本だったの。S博士は今ではアメリカでバイオマスの研究をしているの。ブッシュの命令で……。オバマに代わっても重要な研究であることには変わりないというのだけれど。奥さんのC女史は韓国人で大学の研究者なの。ちなみにうちの弟の高校時代の野球のチームメイトは、イェール大学で狂牛病研究をしているの。ブッシュの後輩だね……sweat02

 「心理臨床の広場」を読んだの

 えっと、『心理臨床の広場』っていうのはある意味、業界誌に近いような日本心理臨床学会の刊行物で、一般にはあまり知られていないのですけど、ユング派ゲシュタルト療法などなど、いろんな臨床心理学のセラピストたちが自説を披瀝している面白い冊子なの。何となく読んでいたら、そこに、私の大好きななつきさんにそっくりなことを語るクライアントの例が出ていたのsign01 ど、どうしようsign02 なつきさんに教えなくっちゃ……coldsweats02 というわけで、なつきさんにはメールでお話しするねloveletter

 テカ、春樹についてほとんど語ってないですよね、この記事sweat02 だって、私、春樹のこと、ほとんど知らないのだもの……weep (ちなみにワル子も)

 あと、PVは3分の2までできてきたから、マニアの方、もうちょっとお待ちくださいねcoldsweats01 というか、私、もう疲れた……weep ゆっくりしたいよぅ……weep

 では、またねpaper

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2009年8月 8日 (土)

エロ本とか言われてしまったの

 お話の前に……

 酒井法子、容疑者になってしまいましたcoldsweats02 そ、そんなーweep 一刻も早く出てきてsign01 『碧いうさぎ』、好きだったのにーcrying より正確には『碧いうさぎ』だけが好きなのですけれど、とにかく好きなの、私はsign03 押尾も更生がんばれsign01

 私も覚醒剤法廷に立ったことがあるの

 えーっ、りさこってジャンキーだったのーsweat01 ううん、ちがうの。私は法廷に立ったことはあるけれど、被告人席じゃなくて傍聴席だからpaper 薬物事犯の公判って淡々としているの。殺人や傷害致死とかだと、検事さんが被告人(「被告」という用語は正しくないのよ?)にひどい言葉を浴びせかけるの。被告人、狼狽してしまってよくわからないことを口走ってるの。さらに言葉尻をとらまえて「被告人の言ってることは矛盾しているannoy」って怒るの。でも、人間の行動に論理的一貫性がない以上、被告人の説明に論理的一貫性がないことのなにが問題なのか、たまに素朴な疑問を感じることがあるの。でも、検察も他に合理的な解釈のための手立てがないので、論理的説明に頼らざるをえないのね。論理から「こいつの説明はウソだsign01」って結論を導かないといけないから。

 みなさんも裁判員になった時のために、機会があったら法廷に足を運んでみて。なにを根拠に「こいつは確信犯だannoy」「更生できないに決まってるannoy」みたいなことを判断できるのか、できないのか、いろいろ気づくこともあると思うの……

 また白石一文を読んでいるの

 例によって「リアル星桜さん」から白石一文の『僕のなかの壊れていない部分』という本を借りてしまったの。それを誰もいない会議室で一人で読んでいたのね。そしたら、ワル子がやってきて、言うの。「なに、エロ本よんでんの?」……。こ、こいつは……annoy

 Siraisi_002

 でも、AV男優の加藤鷹の出演している「潮吹き倶楽部」とかが引用されていたりして、時たまえっちなのだけど……テカ、私も試してみようかしら(何をsign02

 でも、内容は哲学小説風なの。主人公がちょっと屁理屈な雑学男なの(たぶん、作者は「雑学」ではなくて「教養」と言ってほしいのかも知れないのだけど、私としては雑学だなthink) でも、人生のごく基本的な質問について面白い問いかけを発していると思うの。私みたいなへそまがりには面白いかもshine

 次回PVは……

 あと少しで音楽ができあがるの。それからナレーションとかも録って、あとは映像かしら。そういうのさえ集まってしまえば、次回のPVはすぐにできるの。その次のPVがむずかしいのね。まずはいつものMariaのダンスのための舞台をセッティングして……。Mariaも久しぶりの登場だから、ちゃんとやれるのか不安だし……。でも、いつもとはちがうエキサイティングなパフォーマンスになると思うの、きっと。

 だからもうちょっと待っててねpaper 

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2009年8月 6日 (木)

また白石一文を読んでしまったの

 その前にお話があるの……

 ついたちの朝、いつもお世話になっているmachuさんのおじさんが、みんなに見守られながら静かに旅立っていったのweep でも、おじさんはmachuさん一家にたくさんのものを残してくれたの。仲良しのおばさんと一緒に……。

 おじさん、さようなら。安らかに……

 「もしも、私があなただったら」を読みましたbook

 例のワル子の後輩の人から(通称「リアル星桜さん」)白石一文の『もしも、私があなただったら』という本を借りたの。前に読んだ『見えないドアと鶴の空』に比べると、彼も次第に売れてきたせいか「まあ、こんな程度でいいかな」的に楽に書いてる感じがして、なんだ文章も前より下手になっていたのthink イライラした私は、ところどころ「いやいや、そこはこうでしょannoy」と文章を書き換えてしまいました(ひどい奴sweat02

 Shiraishi_2

 例によって、本作も制度からはみ出した不倫愛の中で、どこか子どもっぽく本性的なエロスにあふれるアニマ的女性によって、主人公の男性が真に解放されてゆく救済劇なの。制度や常識によって背負わされた重荷をあえて下ろしてしまうところが彼の作品の特徴なの。そこには何か人の努力とか倫理とか、そういったものを超えた赦しの世界が広がっているの。それは世界におけるもう一つの隠された真理であって、「縁」なのね。結局、不確実な世界を確実なものに変えるのは、そういうものに対する自覚、目覚めだということをいっているように私には思えたの。見た目は「ええー、なにこのオチsign02」って暴れたくなる感じの恋愛小説ですけれど(けど、しばらくして納得して落ち着く私sweat02)、意外と神秘的な宇宙観のようなものがバックにあるのね。物語の構成は三部に分かれていて、まったく『見えないドアと鶴の空』と同じなので、同じような雰囲気のお話が好きな人は読んでみるといいと思うのhappy01

 実はえっちなのsweat01

 性的なものを通じて心身ともに本性から自己の真実に目覚めてゆくという展開が彼の作品の特徴なのね。ある種の魔術的思考といってもいいほどの性信仰がそこにはあるの。性は彼にとっての秘儀なのねheart02

 さて、ラストで主人公の啓吾(「吾を啓く」)が親友の妻の美奈と身体を合わせて、本当の意味で一つになり、分裂した世界を回復するシーンがあるのだけれど、そこで興奮した美奈が「包帯で自分を縛ってsign01」みたいなことを言い出すの。ええー、SMsweat01 そこで彼女は口までふさがれてしまうのだけど、その状態で美奈はモガモガと何かを言うの。だけど、作者はそれをきちんと訳してくれないの。えー、なんて言ってるんだsign02

 そこで、私はその箇所をもって「リアル星桜さん」(仮名)に訊きにいったんです。「これっていったい何を言ってるの?」って。「リアル星桜さん」はとても大人しい人で、しゃべるときも低く小さな声で話すので、おっとりした女らしい人だと思われているのね。で、当該箇所を見た「リアル星桜さん」は私の顔を見て教えてくれたの。

 「中で出してください。お願いします、啓吾さん

 ええーっ、なに臆面もなくそんなこと言ってるのーsweat01 ちょっと、そんな、「リアル星桜さん」の口からそんなのって卑猥すぎsign03 でもでも、なんかそういうところが星桜さんみたいなのよね……sweat01 私の中では完全に彼女と星桜さんが重ねあわされてしまっているの。

 ハァ、現実と妄想くらい区別しなさいってば、私……sweat02

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2009年7月27日 (月)

白石一文を読んでいるの

 白石一文に手を出してしまった私

 みなさん、一週間ぶりpaper 毎日プログにやって来ては「なんだぉ、また未更新かよannoy」とすごすご帰っていったみんなのこと、私はちゃんと知ってますからねpout(えっ、逆ギレsign02

 そんな私ですが、最近、お仕事関係のスタッフから(私はその子をリアル星桜さんと呼んでいるの。だって星桜さんみたいなのだもの)白石一文の『見えないドアと鶴の空』と『もしも、私があなただったら』を借りてしまったの。それもハードカバーでsign01 本がとっても好きなんだね、リアル星桜さんshine 

 で、前者はもう読んでしまったの。ただの恋愛小説かと思っていたら、自分探しの小説だったの。自分が何者なのかを逆境の中で初めて問いかけるの。そこには自分と世界との目には見えない一体的なつながりがあって……そんな神秘思想がバックにあって。ユング的な象徴が随所に出てくるの。どういうわけか、なんとなく泣けたweep それに、最初のほうに出てくる主人公の昴一と、そのいけない関係の恋人の由香里とのセックスシーンheart02が心地よいのconfident 主人公は会社を辞めて心に傷を負って立ち直れずにいたの。表面的にはそれが感じられないので、妻の絹子は訝ったり苛立ったり……なんだか私にも経験あるな、そういうのってthink 作中には禅的な空手や無一物の価値観が立ち現われてくるのだけれど、私の解釈とはちょっと違っているの。でも、全体に引き込まれるものがあってちょっとおどろいてしまったの。ふぅーん、こういう小説もあるんだ……。私ってば、日頃ほとんど小説を読まないから、時代に取り残されているのねcrying

 machuさん、どうしてるかな……

 ブログが更新されていないところをみると、今はまだきっと……。でも、また元気なお顔が見れると信じているからねsign01 こないだ、夢の中でmachuさんに会ったの。とっても元気な人でしたshine おじさんのこと、私も見守っているからねsign01

 machuさんが戻ってきた時に、また楽しんでもらえるように、何か作っておかなくっちゃですね。そんな気分じゃないかもだけど、私も何かがんばってみるから、期待しないで待っていてね……

 なつきさんに暴走してしまいましたsweat02

 ヤバイ、最近、「りさこ」が暴走してるのcoldsweats02 PVで語ったとおり、「りさこ」はちょっとおかしな子なの。それで、なつきさんに対して欲望の歯止めがきかなくなって(なんだそれーsign02

 とりあえず、落ち着くの、落ち着きなさいってば、りさこsign03

 とりあえず、「りさこ」を何とか食い止めてる私でしたdash

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2009年5月30日 (土)

私が処女をなくした日

 今日は新しい作品に挑戦なのgood

 みなさん、こんばんはpaper 今日は高校時代に書いた英詩をもとにした動画を作ってみたんですけれど、ちょっと不思議なのができてしまいました……sweat02 その詩のタイトルが『The day I lost my virsinity』(『私が処女をなくした日』)というわけなのsweat01 ちなみに、当時、この詩を読んだ同じ高校の同学年のちょっとインテリにかぶれた男子は、「この詩そのものについて大していうことはない」「こうした詩は感情のはけ口ともなるだろうが、おそらく詩ではなくて詞」と遠まわしにイチャモンつけてきたのねannoy フッ、そんな機械的な象徴しか使えないよーな象徴主義くずれのヘボ詩人に何がわかるってゆーのよdash

 とりあえず動画ですheart02 

 で、その詩に英語のナレーションをつけて、さらに日本語訳の字幕を入れ、モデルはいつものMaria de Stellaという組み合わせで動画化してみたのね。音楽は例によってりさこがスタインウェイB-211(1,134万円)で弾いた『インプロヴィゼーション第1番』の第3楽章。フルverは本邦初公開なのshine 前に星桜さんが「全編聴きたいです」って言ってくれてたのに、3ヶ月近くお待たせしてしまってごめんなさい。とりあえずは下の動画をみてね。なお、大きいサイズのフルverはこちら

 こんな詩なのpen

 動画、見た? あ、あやしいでしょsweat01 しかし、わりに好きだな、私heart04 妙な味が出てる気がする……。

 で、詩の全文も掲載しておくので、また読んでみてね。学校の授業とかで「詩を書いてきなさい」って言われた時に、この手の詩を書いてくる生徒がいたら、私はためらいなく絶賛しちゃうけどなconfident

The day I lost my virginity
『私が処女をなくした日』

Onyx darkness covered reason
瑪瑙の闇が理性を奪い
Black blood was oozing from my eyes
黒い血の涙が瞳からしたたる
The wind kisses my eyelids
風が私の瞼をなでてゆく

Going down
沈んでゆく……

Yes, Getting laid for the first time
そう、私、したの
And I lost my virginity the night
その晩、私は純潔を失った
Release reflection of mine in the mirror
鏡の中の私を解き放って
She begins to walk to me
それは私に向かって歩き出し
And cuts my memory into the small pieces
私の記憶を細切れにするの

All things are gone below the time
すべては時の彼方に

Disperse the petals of rose
薔薇の花を散らして
And scatter over the bog
そう、泥沼にばらまくの
My rosy buds are stained with blood
私の薔薇色のつぼみは血に穢され
Bloody lips wets dried mine
血まみれの唇が私のかわいたそれを湿らせる

Slash at my small bosom
小さな胸を切り裂いて
And stab your fingers into my womb!
あなたの指を私の子宮に突き刺して!

Gaze into my eyes
私を見つめて
Reflect me in the sea of your blood
あなたの血を満たし、私の姿を映して
Stare at myself standing in an ecstasy
恍惚のうちに立ち尽くす私を見つめて

From my eyes, tears stream to my colorless face
涙が青ざめた私の頬を濡らす

The day I lost my virginity
私が処女をなくした日
I never forget it
私は忘れない
It was the first day I did
私がした初めての日
Without a visit of pure love
清らかな愛のおとないも知らず
There was only humiliation
ただ恥辱だけが残された

It was the first day I did
私がした初めての日
Without a visit of pure love
清らかな愛のおとないも知らず

My rosy buds are stained with blood
私の薔薇色のつぼみは血に穢され
Bloody lips wets dried mine
血まみれの唇が私のかわいたそれを湿らせる

Slash at my small bosom
小さな胸を切り裂いて
And stab your fingers into my womb!
あなたの指を私の子宮に突き刺して!

Gaze into my eyes
私を見つめて
Reflect me in the sea of your blood
あなたの血を満たし、私の姿を映して
Stare at myself standing in an ecstasy
恍惚のうちに立ち尽くす私を見つめて

The day I lost my virginity
私が処女をなくした日
I never forget it
私は忘れない
It was the first day I did
私がした初めての日

Slash at my small bosom
小さな胸を切り裂いて
And stab your fingers into my womb!
あなたの指を私の子宮に突き刺して!

Gaze into my eyes
私を見つめて
Reflect me in the sea of your blood
あなたの血を満たし、私の姿を映して
Stare at myself standing in an ecstasy
恍惚のうちに立ち尽くす私を見つめて

The day I lost my virginity
私が処女をなくした日
I never forget it
私は忘れない
It was the first day I did
私がした初めての日
There was only humiliation
ただ恥辱だけが残された

I never forget that day
私はあの日を忘れない

 

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2009年4月30日 (木)

りさこの微エッチ漫画です☆

 テカ、エッチなのsign02

 毎度、お騒がせなタイトルで人の注目を集めようとしている自意識過剰な私ですけれど、実際はフカシなのね、たいがいは(なんだぉ、それ……sweat02

 で、今日の漫画は小説『あるピアノ少年の恋。』の原作の一場面で、ドイツから帰国した天才ピアノ少女の愛子さんがヘタレ少年のユウくんを誘惑(?)するとこなの。

   Foryou_17_02_2005

 ちょっとだけハァハァって感じのシーンだけど……別にふつうだね、ごめんなさいsweat01 ちなみに小説版のほうについては、あの生時さんとか星桜さんが暇つぶしに読んでいるというほど権威ある……(以下略)

 小説版は今のところ127話まで連載中で、これがまたひどいのねcoldsweats01 話だけさくさく進んじゃって、ほとんど細かいことは描写してないの。日本語も意味だけ通じる程度の簡潔なものなのね。なんだか中学生の作文みたいsweat02 でも、いいの。そゆことは忙しいからいいの。文学的にしたかったら別の機会にやればいいのだから。今はいろいろやりたいお年頃なの、私はsign01 

 クローデルの外交書簡集を読んだら……

 フランスの駐日大使でフランスを代表する詩人の一人でもあるポール・クローデルという人がいるのね。昔、地元新聞紙に昭和18年のクローデルの言葉が載っていたんです。Wikiにもそのまま載っているので引用しとくね。

 日本人は貧しい、しかし、高貴だ。世界でどうしても生き残ってほしい民族をあげるとしたら、それは日本人だ。(クローデル)

 私はそれで興味をもってクローデルを自作小説に引用したんです。そこにはクローデルの言葉に導かれて日本にやってきたジャック・ルイ・ド・ラ・リヴィエール神父という神に愛された司祭が出てくるの。残念ながらこの小説は今月中に刊行される予定だったのが、私的な都合で延期されちゃったの。まっ、いいや。気にしない、気にしない(ひどい奴だね、私……)

 そんなわけで、延期した時間を利用して、私はクローデルについて同じワグネリアンのよしみもあって(もっとも、クローデルは途中でワーグナーに失望しちゃうのだけど)もっと調べてみようという気になったんです。そしたら、平凡社の『世界教養選集』の中に、クローデルとジャック・リヴィエールなる人物の往復書簡集があるってことに気づいたの。うっわぁ、またやっちゃった……いい加減にしてほしいわね、この手の超能力sweat02 フランス文学をやってる人なら気づいたかもしれないけど、私はリヴィエールなんて文学者は知らなかったの。でも、面白いからこのまま設定を変えずに書いちゃうつもりですscissors

 クローデルはアングロサクソン勢力に対抗するために日本と手を組むことを模索していたのだけど、その当時、私の祖父はアメリカに移民として渡っていた曽祖父に呼ばれて渡米したの(大正9年)。クローデルは翌10年に来日しているのだけど、駐日大使時代の1924(大正13)年に米国でアジア系の肉体労働者の入国を制限する法案が可決され、日本がダメージを受けたことについて外交書簡に書いてるんです。アングロサクソンには根強い人種差別の感情があるとも書いてるの。その日本の恨みが中国や満州でどんな影響を及ぼすか想像に難くないと彼は分析しているのだけど、同時に日本が満州を監理下に置くことはソ連に対抗する上でフランスには有利だとも言っているのね。大正末年の段階では日本とフランスの間に政治的、経済的な対立がなかったというのが面白いflair

 結局、うちの祖父もまもなくアメリカから帰国、日本は満州の権益を独占してアメリカの怒りを買い、しょうがないので河豚計画を立ててユダヤ財閥に機嫌を直してもらおうとしたけれど、ナチとの同盟などもあって拒絶にあい、戦争になっちゃいましたthink

 ちなみにうちのご先祖も佐伯好郎博士に言わせれば古墳時代に渡来してきたユダヤ人さんなのよ? 偽説っぽいけれど、私はけっこう気に入ってるのheart02 うちのご先祖、昔からフラフラしてたんだ…… 

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2009年1月20日 (火)

癒し動画、ご覧ください☆

 コメ返と動画のご案内です

 machuさん希さん、コメ、ありがとねheart04 ここここでコメとコメ返を確認して下さいねpaper そんなmachuさんのために「赤い橋」までの雪道を撮影した癒し動画を送りますねsign01 なんだかゆる~い感じのいい動画なのねcatface machuさんが怖がってたトンネルの映像もあるけれど、今度はどうかな? なお、拡大版こちらです。できれば拡大版でどうぞ。

 希さんとは絵のお付き合いなんです。希さんのプロフィールと作品はこちらなので、みなさんも覗いてみて下さいね。丁寧な線で仏さまが描いてあったりするのね。私も仏画って好きなんです。私が論説委員をしているサイバー美術館「用賀遊水美術館」の収蔵作品にも仏画が何点かあるのね。たとえばこんなの。かわいい仏眼仏母でしょう? 私は高山寺の国宝『仏眼仏母像』でしか知らないのだけど、かつて明恵上人は真理を洞察する眼を象徴する仏眼仏母像の前で瞑想して、それを母になぞらえて敬慕したというんです。私はこのエピソードが好きで、ユング心理学元型論のようなものを感じるんです。真理に形を与え、全体性の中で理解させるものが「象徴」なのね。私の心の中にも、明恵の「母」と同じような「象徴=イメージ」が息づいている気がする……confident 

 新刊のお話です book

 生時さんと希さん、それに星桜さんオロチ丸さんなどからお問い合わせをいただいているのだけれど、その時になったらブログでもカバー画像とか載せますね。睡眠時間3時間のくせに、よせばいいのに、カバーも自分でデザインする気まんまんの私……そんなヒマ、あるのかしらsweat02

 新刊はちょっと複雑な小説なんです。分野はショッキング・サスペンスなのね。一人の修練女(修道女の見習いの人のこと)が監禁されるとこからお話は始まるんです。数年後、その事件に関わった精神科医の黒川美花が八王子のミッション女子高に専任カウンセラーとして赴任するのだけれど、そこから物語が動き出すのね。やがて、免費特待生として女子寮へとやってきた佐伯未紗都という子をめぐって、そこから一人称で物語が進んでゆくのだけれど、この小説の一人称「私」って一人じゃないんです。これは形式の未熟さではなくて、哲学的な問いかけなんです。けれど、ページ数を合わせようとしたりした関係で、正直、私は納得してないのね。でも、「納得」って何なのだろうっていう別の疑問が出てきたんです。デュシャンは芸術から「趣味」や「好み」という要素を極力排除しようとしたのだけれど、そこには深い問題提起があるように思うんです。もしかすると、芸術的文脈においては「私だけが理解しうる、私にとってのみ意味を満足させる作品」というものがあってもいい気がするんです(真に他人に理解できるものなど原理的に存在しない?)。私自身の実存の反映としての作品がここでは必要なのであって、他者の理解にあわせて形式的なものを踏襲する意義って何なのか、っていうことなんです。「好み」って「制度」なんです。「好みじゃないもの」の中に現在性が眠っているのかもしれないのね。わからないもの、未知なものを、強引に形式的理解のフレームに当てはめず、そのままにしておくことによって、逆にその中から可能性をつかみとっていくことができると思うんです。それを誰もが読んで面白いと感じるように整理して完成させるということは、東北弁の方言詩が理解できないからってそれを標準語にして読むようなものだと私は思うのねannoy

 新刊の内容や続編情報などについてはまた随時お話しますね。ここで知り合った方の中で名前が使えそうな方については、どこか作中で出演していただこうかと思っているのですが、ちょっと今回は無理みたいsweat02 続編が出るような運びになったら、出すねshine 

 最後にお知らせ

 生時さんがクローン病について書いた自伝的な手記はこちらからお読みいただけます。クローン病患者の現状などが書かれていて勉強になります。個人の財産とか家計といった垣根を越えて、困っている人を助ける社会を作っていけば、みんなもっと平和になると思うのね? でも、それって共産主義みたいだねsweat02 今ってドイツではマルクスの本が売れ始め、うちの県内でも共産党員になる人が増えてるんです。日共関係の仕事が激減していた公安の人たちもレゾンデートルが再確認できてよかったね(皮肉ですsign01)。市場原理主義が逆に共産主義復活の素地を作っちゃったとWikiは指摘してるね。

 

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2009年1月19日 (月)

私の病気のお友だち

 クローン病の生時さんから連絡をもらいました

 私のネット友だちで、レジェンドというバンドをしていた生時さんという方がいるのだけど、最近、消息が絶えていて心配だったんです。生時さんはクローン病という国の特定疾患に指定された難病に罹患していて、勤め先の仕事もままならないほど大変なんです。もちろん、治療については公費負担助成の対象扱いにはなっているのだけれど、どうも実際にはかなり大変らしいんです。男性では20代で発症する方が多いみたい(厚労省が運用している難病情報センターの消化器系疾患調査研究班の報告を見て)。

 お金持ちの人、お宅のベンツを売って一人でも多くの人を助けてあげて! 私は自由で公平な競争や、努力や才能の結果だなんて、そんなどうでもいいものを尊重するよりも、不公平でもなんでも、お金がなくて困ってる人のところに、余裕のあるところからお金をまわしてあげることのほうが大切だと思うのね? 困ってる人がいるうちは自分だけ豊かな生活をしちゃいけないと私は思います(王監督のお父さんは「一人の人を喜ばせるよりも、みんなの幸せを考えなさい」って言ったのねshine)。けど、お金持ちがお金を使わないと回っていかないのが資本主義なのね。貧乏人にお金をわたしたら溜め込むだけで使わないから。だからいつまで経っても世の中がよくならないんじゃないのsign02 資本主義経済なんてどうでもいいから、貧乏人にお金をよこしなさいsign03 一人の人がどんなに努力しようが偉かろうが、他の人の何千倍も報酬をとるのはまちがってると思うな、私。同じように、日本と同じ仕事をしても中国の農村ではその何分の一の給料すらもらえないっていうのは許せないのね? 同じ仕事には同じお給料をあげたいんです。ちなみに、私も貧乏時代は自分の楽器を二束三文で売って国民年金保険料に当ててたのよ……weep 

 そんな生時さんから、ピアノ動画「いばらの薔薇」にコメントをいただきましたので、ここでご覧ください。私はレジェンドの演奏動画も見てみたいですshine もちろん、Dさんのグランドピアノ演奏動画も……今度はバッハに挑戦してくれるらしいです、いつか。

 新刊の予備知識としまして

 5月に延期となった私の春の新刊本ですけれど、内容はショッキング・サスペンスなのね? 生時さんたちがいつも読んでる私のオンライン小説とはちょっと違っていて、なるべくライトには書いてあるけれど、あくまで紙小説の水準なんです。当初はあくまでも軽く読める文体でと思っていたのだけれど、今では「もっと詩的に」という気持ちがとても強いんです。だけど、結果として軽めになりそう……。そんなに重くない感じ。普通のホラー小説とかと大差ないと思います。

 もともと、『エステル・アシュケナージのおうち』と同じで中高生向けの本だったんです。それを読んだ当時15歳の男子中学生は「美しすぎるshine」と言ったのね、ラストシーンについて。てことは、中学生でも理解できる感じの内容なのね。主人公の「未紗都」という少女には実在のモデルがいて、その子は最後までぐいぐい読んだくせに、「こんな小説、もってたら呪われる」って言って印刷した原稿をほかしちゃったのねsign02 いや、そこまで怖くないからね……sweat02

 当時、この小説ってわりと狭い空間内で展開するオカルト色の濃い内容だったんです。それが警察小説の要素が加わってきて、次第に世界史的な陰謀やデュシャンの反芸術思想、論理学といった設定がからんできて、最終的には世界そのものの実在と非実在、意味と虚無を問いかける哲学的な小説になってしまったんです。結果として、バタイユが「呪われた部分」「ポエジー」と呼ぶ領域に光を当てた形になっているといえばいいのかしら? 私は前から数理情報学の教授(こないだビアリストーク大学2008年優秀研究者章を授与されたの)と「悪」の可能性について話してきたのだけれど、「悪」と見なされるものがもたらすもう一つの側面をよく考えてみることが大切だと思うんです。私はそれを文学的な文脈において問いかけるの……

 私がむかし書いたもの

 でも、私の思想って、ほとんど高校時代にそのきっかけがあったんです。母校の図書委員会では、バタイユやブランショが読まれていて、妙に詳しい人とかいたのね。しまいにはジョルジュ・バタイユは「ジョルバタ」って略されて、さらに「ジョル端康成」っていうペンネームを名乗る輩までいたの……sweat02 ノーベル賞作家をバカにしてますよねsweat01 もっとも、私は各賞を最初から小馬鹿にしてるいけない子なのだけど……。誰であれ、そんな名声に踊らされて「制度」の一部になるなんて、私には信じられないぉ……think

 そんな私の学生時代の小説、今日も見せますね book 新刊とはあまり関係ないのだけど、昔の作風とかが出ていて面白いかもですhappy01

 子は愛することを禁じられ、だが、同時に彼女を愛さねばならぬ。愛は過酷な束縛であり、堅牢な道徳――忍従と隷属を信条とし、犠牲を怠れば罪される――にほかならない、彼が捧げた無上の愛は、母親に対するものであったろう。愛とは服従の証しであり、厳罰の誓約である。人に注ぐことのできる愛憎の気持ちには慎重でなくてはならない。しかし、このような戒めを罪の意識、あるいは罪悪の名で呼ぶことは、間違いであったろうか?

 この一節って、やっぱり実在の人をもとにした登場人物について述べているんです。幼なじみの画家のことなのだけど、私はこの画家さんについて女子美の教授と一緒に精神分析しちゃったこと、あるの……sweat02

 我々は彼の詩をそのような無残なものにしてはならない。虚無の支配する形而上の世界に、あるいは拒絶的な天上的陰影に、あるいは耽溺的夢想の泥濘にそれを置き去りにしてはならない。空虚な天に呼ばわる人、陰鬱な闇に立つ人、ぬかるみに自らを映す人は不幸である。なぜならば、いずれも自らを知る手段ではないからである。無いものを欲することができぬように。

 人は生涯を通して自己の姿を求める。いかなる困難の道程においても、人は故郷を目指す。同じ故郷の人に巡り会うことは、あるいは、幸いである。

 この部分って、今の私の思想とは少しちがうのかも。文中の「彼の詩」はノヴァーリスの『青い花』(原題『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』)のこと。私のネット小説「Mother」にも出てきました☆ 

 それでは、またねpaper

 明日はまた動画を流そうかと思っているんです。私、最近、動画作りにハマっちゃって……。でも、私の目的はいつでも世の中を不幸にしている悪い人たちを倒すことにあるんですpunch そのために、もう少しだけ私の贅沢を許して? そんな罪の意識のせいでしょうか、私は貧乏時代もユニセフに寄付してたのね……。私は貧しい人たちや居場所のない人たちのことを忘れたことはないんです。それ以外は最低最悪な人間なのねsweat02

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2009年1月18日 (日)

私の学生時代の小説って?

 メール返、しました!

 星桜さん、ごめんね? なんだか「メールしなぉ」的な脅迫しちゃって……sweat02 そしたら律儀に生存メール、いただいちゃいましたloveletter ごめんね? 返信も長くなっちゃってごめんねsweat01 私、星桜さんと野望に向かって進みたいのね? って、私の妄想につき合わされてる星桜さんの立場っていったい……sweat02 あと、メールでは「サルトルを語ります」とか言っちゃったけど、まだ迷ってます。明日にするかも……。バタイユの話にしようかしら? 結婚という制度にすんなりはまれないのになぜか恋愛小説 heart02 を書いてしまうという星桜さんの思考って、もしかするとバタイユ的な面からとらえられるのかも。私はバタイユ的なのね、かなり……。

 あと、私の中高生向け小説『エステル・アシュケナージのおうち』、読み中なんですね! おどろきました! でも、あくまである一人の女子中学生のために書かれたお話なので、大人が読むには少し軽いかも……。でも、最後まで読んでみてねpaper 爽さんも読んでくれたんです、このお話。ありがとねheart04

 私の過去の小説、ちょっと読む?

 今では実験的にオンライン小説を書いている私。でも、もともと紙出身なので、けっこう大変なんです、パソコンで小説を書くのって……。なんて言うのか、いろいろあるのね、ギャップが。ちょっと書くとすぐR-18だし……健全なのね、ネットの世界って(ええっ!?)

 そんな私の学生時代の小説をたまにちょこちょこ紹介しているのだけれど、今では閲覧不可能な作品もいろいろあるので、興味本位で読んでいただいてるのね。いろんな小説があるのだけれど、今日はこんなのを紹介します book 若い人にはちょっと刺激的だけれど、ぜんぜんOKだから読んでも大丈夫なはずpaper

 月の光さえ届かない、繰り返し明滅する壊れた街灯のかすれた光だけが頼りの薄暗い路地裏で、二人は互いの体をゆっくりと重ね合わせた。気まぐれに降り注ぐ淡い光の下で、ようやっとうかがえる互いの表情――わずかに開いた彼女の上唇の隙間からは、左の犬歯がのぞいていた。肩で息をつき、意のままにならぬ嗚咽に抗いながら、その瞳はキッと少年の顔を睨んでいた。胸のふくらみの向こうに見える少年の顔は、いくぶん疲れて憔悴して見えたが、変わらずに凛として気高く、陶器のように白く冷たかった。

 前に紹介したのとはちょっと違う感じだねsign01 私、昔はいろいろ書いていたんです。でも、作品って出来上がった瞬間から、過去の「形式」へと硬直化してゆくんです。それを生きたものとして理解するためには、作家という現在性をもった実存の全体性へと作品が還元されなくてはならないと思うんです。一方で、作品はそれ自体で独立して、作家さえ把握できない別個の存在となって、今度は客体として作家に影響を与えるんです。それは呪物化の過程と言えるかもしれないのね。むずかしい話だけれども。このブログにいらっしゃる方って、文学に興味がある方だったり、芸術に詳しい方だったりするんです。だから、少しくらいむずかしくてもいいですよねsign02 いいって言いなさいよsign03 

 ……ごめんなさい、いきなりキレてsweat02 じゃ、同じ小説から別のシーンをつまみ食いして、今日は一緒に寝ようね。おやすみっsleepy

「おかげんはいかがですか、伯父様」 

 眩しさを増した午後の白光を背に、クローディアは両目を細めて静かな微笑をたたえていた。老人は姪の言葉に深く頷くと、しぱらく黙ったまま光の中に佇んでいた。まるで、そのまま消え入るかのように――じっと。

「馬を水辺に導くには一人で足りるが、その馬に水を飲ませることは二十人でもできない」       

 そんな卿の言葉に、クローディアは黙ったまま頷いた。 太陽の中に吸い込まれたラグビーボールが、不意に光の中から姿を現すように―― 一人の少女が、老人の背後にふっと舞い降りたような気がした。

 なんだか、よく眠れそうな小説だね。どんなお話なのかしら……confident なお、私の5月の新刊はまたちょっと違う感じなのね? 女子高生とかがグチャグチャになっちゃう美しいお話なのね……

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2009年1月14日 (水)

りさこのピアノ練習曲「いばらの薔薇」

 恐怖コメ返です……

 machuさん、私の元職場動画、見ちゃったんだね……。それも、そこに何か心霊現象まで見えちゃったの、machuさんの目には? ちょっと、気になるから、machuコメ、引用しますpaper

なんかこの動画もコワイ気がするsweat01
もうね!真面目にかなりのビビリなのよsweat01

あたしね、絶対に祖先の方に守られてるのよ。
それで、自分が悪い事してる時に結構みたの。
昔の話だけどね・・・sweat02

だからオバケは信じる。でもキライ!!(笑)

 ……だそうですsweat02 私はマヂ何も感じなかった(鈍感)ので、一応、中央警察署の犯罪情報にアクセスしてあたりのことを調べてみたんです。そしたら、警察が未解決の殺人事件の捜査を続けてることがわかりました。平成19年11月9日に69歳の居酒屋のご主人が刺されて殺されているんです。それも朝っぱらの10時に……。油揚げの美味しい店で、私が飲み会してた居酒屋さんとほぼ同じ通りなんです。動画の撮影現場からは100メートルちょっと……。確かに繁華街っていろいろあるからsweat01 なお、警察への情報提供は匿名でもできますので、みなさんも事件解決にご協力くださいね! あと、なんでか動画に聞き覚えのない声とか入ってる気がする……って、マイクがうるさいのよ、うちのケータイさんはmobilephone

 ピアノ練習曲第1番「いばらの薔薇」PV

 音楽動画、いつものように、自作ピアノ曲に自作映像と解説をつけてアップしてみました! エンディングまで見るとクレジットがついていて、みなさんのお名前がロール形式で表示されるので、「もしかして、私の名前があるかも」と期待した方はぜひ見てねheart02 動画は縮小表示なので、詳しくご覧になりたい方はこちらをクリックして大画面でお楽しみくださいね。

 この曲、以前にもWMA形式でアップしたけれど、ピアノマンのDさんのケータイからは聴けなかったみたいなんです。だから動画形式にしてみました。星桜さんも音だけ抜いてCDに焼いちゃっていいからね(でも、どうやって?)。なお、ピアノ曲「ため息」を星桜さんの企画小説のテーマ曲したいというお話も、好きにして大丈夫ですhappy01 素材を送っていただければ私のほうでも動画を作るけど、むしろ妹さんとその旦那さんに作ってもらいたいです! ちなみに、今日の動画にもmachuさん、出演してる……

 既存の小説を語るね

 私、小説って読まないんです(ええーっ、なんだそりゃー!?)。高校時代に一番読んだのは、そうね……澁澤龍彦サドの訳本でした、すいませんsweat02 テカ、インテリは澁澤を読むっていうのが常識でしょ? そうですよね!?(いつの流行だよ、澁澤……)

 ちなみに澁澤のサド裁判にちょっとだけ三島由紀夫が関係してるんです。例の『宴のあと』事件の裁判のこともあり、三島は友だちの澁澤にも「前科者になろうね」とエールを送ってたのね。てなこと、高校の公民科で習わなかった? 現代社会の授業とかで。『宴のあと』事件は習うでしょ、ぜったい。

 で、小池真理子島清恋愛文学賞をとった『欲望』という小説(ちなみに翌年には旦那の藤田宣永が受賞)って、もろに三島なんです。テカ、三島を本歌取りに使ってるのね。どんな作家にも完璧な文章(ここでは何が完璧かは定義しないけれど)って滅多に見られないのだけど、小池も例外ではなく(オイオイsweat02)、何事も必要なことをすべて描写しようとすると、必然的に美だけではなく、曖昧なものや、醜いものも文章に出てしまうのね、たぶん。だって、小説的文体で書いても様にならない箇所ってぜったいあるでしょう? でも、旦那の藤田が言うように、基本的にはうまいんです、小池って。テカ、過去の経緯とかをクドクド書かずに情景の中に融和させて描き出すことにかけては、女性作家のほうが長けていると藤田は言ってるのね。論証は存在しないけど、たぶん、事実かなと私も思います。

 さてさて、その小池作『欲望』の解説で池上冬樹が三島とニヒリズム、美と悪の問題について語っているのだけど、寝る時間になったので、今日はやめますね。ちなみに、私は小池が好きですheart04 読みやすいし、クセがないし……もちろん、好んで使われる同じ形容とか、文章の癖、パターン、似通った名前など(別々の小説に「正巳」と「正美」という名の美青年がいたり)はあるのだけど、基本的によく書けてるの。小池って芸術家なんです。芸術家には良識とかいうでっちあげのトートロジーがないんです。その点が私の気に入ったのね……shine

 またまた偉そうに語ってしまいました。どんだけ大物なのかしらね、私って。でも、たぶん、良識がないことでは私のほうが上だな、きっと……。あれあれ、何を競っているのやら? でも、社会に反抗した実績にかけては小池の勝ちかも。私は抑圧されて本心なんてなに一つ書けないままだから。あ、それで新刊本なのだけど、出版社から「ハイハイ、わかりました、ゲラのチェックは後でいいけど、刊行は5月ですからねannoy」って言われちゃいました。予定を一ヶ月も伸ばしちゃったbleah もともと、人に楽しんでもらうための本じゃないからいいの。私は人に罪の意識を思い知らせたいだけなのだから。そして不安になった人々が私を抹殺するのね、きっと……

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2009年1月13日 (火)

りさこの昔の職場だぉ!

 りさこは昔、こんなところで働いてました

 ……とはいうものの、リアルに元職場を出すのはピーなので、そのすぐ近くの動画、アップしてみました! 私の安物ケータイで撮影したので、薄暗くて恐怖動画みたいだけど、一応、県内最大の繁華街の隠れ家的な雑居ビルの一角のなのね、ここ? 今日は飲み会で近くまで行ったのだけど、みんなが取っ組み合いの喧嘩を始めちゃって、止めるのに一苦労……仲良くしようねsweat02 

 めんどいので、別のページで詩学を語るね

 ブログでちまちま話してても埒が明かないので、私、『象徴詩学』第一巻をネットで著すことにしました。昔から好きなのね、論文書くの。私、学士論文を出した時に大学院の先輩を飛び越えて学会に呼ばれたけど出席すらしなかったという過去をもってるのね? 当時の私は髪とか染めてピアスとかして、、マヂ生意気だったから口頭試問で某教授から「こんな目次もついてねぇ論文は論文じゃねぇ。論文に“リストラ”みてぇな略語を使うなじゃねぇ」ってかなりキレられたんです。でも、担当教授は「誰も指摘してない発見が書いてあるから、学会、行く?」っていうのね。私の先生って岩波講座「日本通史」の執筆陣でもある、その道の権威らしいのね?(私は知らなかったけどsweat02) 

 私の先生は偉大なの

 私の先生、何も教えてくれない先生なんです。で、みんながいろいろ演習で学説を調べてくると「で、君の意見はなに?」って、それしか言わないんです。「過去の学説をいじりまわすのは、他人の褌で相撲を取るようなものだ」って言うのね。そして、こうも言いました。「君たち、りさこのような発表を“研究”と言うのだよ」……。

 私、当時からゼミの子たちとは口もきかなかったし、先輩なんて一人も知らないし、論文の書き方も教わらなかったし、過去の大家の本も一切読まなかったんです。私が読んだのは原資料だけなんです。なので、学士論文を書いた時、過去の大学者と同じ発見をいくつもしました。そのうちの一つが未発見の分野だったんです。でも、卒論の口頭試問って、専門外の教授も加わるんです。その人には私の論文の意味は一切わからなかったのね? 目次がないとか不適切な略語を使ってるとか、どうしようもないことばかり言って、「こんな不親切な論文は論文とはいえない」とか言うのね? こういうのを「制度化した形式」と私は呼ぶのね? その点、私の先生は偉かったぉheart01 「目次がついてないから、私はともかく、他の先生には怒られるぞ~。でも、やり方もしっかりしてるし、私の知る限り、君の指摘した点について過去に言及している論文はないぉ?」……

 私の文学に対する考え方も同じなのね。グレた格好をしてグレた論文(それも学部で最もページ数の少ない論文)を書いてる私、ネットでいい加減な文体の台本小説を垂れ流している私……私って複雑なんです。私は自分自身を矛盾という形式でしか捉えられない人間なんです。「人間は矛盾した生き物だ」みたいな言葉、軽々しく使われてるけど、意外と人って合理的なんです。自分の行動、意思に確信をもってるんです。私にはそれがないのね。自分の行動が全く説明できないんです。矛盾こそが全体性を獲得するための表現形式だと私は思います。矛盾を矛盾のままにしておくことが、逆に真実に最も近い形式を保持できるのかも知れないのね。観測を受けて収束する前の波動関数のように。

 裏話

 ちなみに、私、医学部のバイオエシックスの試験のレポートを5000円で代筆するというバイトもしてました。医学生って忙しいんです。もちろん、時間があれば誰だって書けるんです。でも、時間がないと、提出できずに留年……。それを肩代わりしたこと、あります。当時、私は国会図書館でGHQの占領資料を調べていたんです。そのついでにレポートのことも調べて、1日で完成、ファックスで流して送りました。国会図書館って本を借りる手続きと待ち時間が長すぎるんです。だから、レポートを書くのには向いていないの。ちなみに、国会図書館の館長さんもうちの高校のOBだった時があったのね。あちこちに出没してるから、みんなも気をつけなね、私の先輩たち。

 高校時代の小説

 大手サイトで軽~い小説を垂れ流してる私。高校時代は重~い小説を書いていたのね。前にも紹介したけども、今日も一部を載せてみました。

 私はよくピアノを弾いた。偽れる言葉に耳を傾け、しばしば人生の目的を忘れて悦に浸った。

 城館は丘を取り巻くように建てられていた。建物の幾つかは旧世紀の遺物で、住む人もなく荒廃していた。花園はその一角にあった。私は其処で読書に明け暮れた。今にして思えば、私は人生において最も心安らかな日々を、この虚構の裡に費やしていたのだ。

 こないだよりは平明な文ぢゃなくね?でも、若い人が嫌がりそうな文でしょう? いいの、嫌がったって。4月の新刊本はこんなんじゃないから安心してね。テカ、360ページもゲラとかチェックすんの、今の睡眠時間じゃ不可能だから、無理言って延期しちゃった(これで2回目。その前には勝手に大幅にページ数増やしたり、ひどい作者だね……sweat02)。分野はショッキング・サスペンスです。それを読んだ男子中学生が「美しすぎるcrying」と言ったほど美しいお話なのね、原作は? でも、今や商業主義に汚染され、いくぶん美しくない作品になっちゃったのね? そこに割り切れないものを感じます。

 それでは、またね。私のピアノ曲の動画、そろそろ新しいのを出そうと思っています。そこから星桜さんが曲だけ抜いてCDに焼くんだって。勝手にどんどん焼いていいからね!

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2009年1月12日 (月)

詩人は批評家を自らの内に持つ?

 限界まで眠いです……

 みんな、私は眠いぉsleepy この一週間、ずっと3時間睡眠なのね。でも、世の中にはさらに不眠不休で働いてる人たちがいるのだから、私にも不可能ではないと思う……たぶん。

 さて、今日のボーナス画像は前にも動画で紹介したジェームズ1世欽定訳聖書のオックスフォード・ファクシミリ版です。私の蔵書の一部なのね。私の高校がまだ旧制N中学と呼ばれていた戦前に購入された図書で、もちろん、全文英語です。資料編としていろんな図版がついているのだけど、今日の写真はヘブル語で書かれた「出エジプト記」20章1節~5節です。大英博物館の写本からのコピーです。十戒の冒頭部分ですねshine クリックするとかっこいいフレームが表示されて拡大されますsign01

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 当時、母校の図書館が移転することになり、書庫の本も含めて蔵書整理と引越し作業が行われたんです。私はなぜか高校で図書委員長さんbookをしていたのだけど、戦前の腐りかけの本が売るほど出てきてしまい(それこそ教室2つ分くらい)、司書の先生に「好きなのもっていっていいぉ?」と言われたので、この革装聖書や水戸徳川侯爵家の印が押された大日本史とか、好きなの持ってきちゃいましたhappy01 旧制中学が所蔵していたあれだけの蔵書って滅多にお目にかかれないはず。神田神保町の古本屋さんが喜んだと思う。あの古書の山、どうなったのかしら? まさか、捨てちゃったなんてことはないですよね!? でも、捨てられるのがかわいそうで、私は本たちを救出したって記憶がある……。

 批評を談じていました

 当時、文芸班の班長さんが副委員長をしていた関係で、図書館にはおかしな人たちが集まっていたのね? 前にも書いたとおり、他校の作品を酷評したり、日比谷高校に恐怖の機関誌を送りつけようとしたり、そんなことばかりしていたのだけど、実はうちの副委員長、予備校時代に小論文の公募で全国第一席というのに輝いてるのね? その副委員長が当時、他校の生徒に宛てて『文章覚書』というのを書いてるんです。そこでボードレールを引用して「詩人は批評家を自らの内に持つ」として、批評眼のない自己満足は大変危険だと警告してるんです。ごく自然なことを言っているけれども、この言葉、ちょっとした定義的な問題を孕んでいると思うんです。

 そもそも「批評眼」とはどういったものなのか? すると当然、「批評」とは何かという問題が出てくるのだけれど、前にも書いたとおり、普遍的形式というものが実存にとって無意味(「実存は本質に先立つ」)という立場からすると、批評というのは、特定の実存をどこまで理解できたかという実存的事実の分析か、実存間の比較といった射程しかもちえないんです。個々の実存(実存としての個人)それぞれに共通する構造を分析する構造主義というのは、実存の比較に用いられる方法論だと言ってもいいのね。けれど、構造主義を理想的状態で突き詰めると、それは実存のうちに明確な普遍的形式を探し当てようという方向性に進むことになるんです。その目的は「現象の背後にある共通の構造を解明し、客観的な、誰の目にも明らかな形式として理解する」ことにあるのね。つまり、「誰にでもわかるようにする」ということなんです。実存が自己満足だとすると、構造は客観的な評価を意味しています。

 例えば、「文法がおかしい」といった批評ってよく見かけるのだけど、「誰にでもわかる文」とか「正しい原稿用紙の使い方」とかって、固定化された「制度」なんです。芸術は実存の自由な表現なんです(この定義の仕方は一方的だけど、むしろ常識的な気がする。私は常識を信じないけれど、信じている方のために)。その実存の自由性を制度に還元して評価することは本末転倒なんです。芸術を日常に引き戻す行為なのね。人から「あなたの文は素晴らしい」と誉められたところで、それって実存を制度に従属させただけの、制度ベッタリの芸術なんです。精神分析の用語で言えば、それこそ「抑圧」なのね。現実原則がブレーキになっているんです。けれど、自覚した作家にとって、制度への服従は必ずしもマイナスにはならないと思うんです。無自覚のまま、制度(形式)が絶対だと信じている態度が問題なのね。

 実存は「自覚存在」であって、「直接存在」ではありません。そして、「形式」は「象徴」であり、把捉できない真理を「形」によって象徴することによって、実存はそれを自覚することができるようになります。なので、文学形式も「象徴」なんです。よって、それは実存によって理解されることを自己目的として内含しています。このメタな前提は重要で、実存の否応ない自覚表現としての「形式」が、自覚を欠いたところで「制度」になってしまうのが怖いところなんです。「社会」や「神」はそういう無自覚な「制度」の代表例だと思います。

 けっきょく、「日本語の文法がおかしい」というような批評は「私には英語がわからないので英文の小説は読めない」と言っているのと同じくらいどうしようもない批評だと私には思えるのねannoy 「誰が読んでもわかるように書くのは当然」という制度的な解釈は、それを目的としていない作品の批評にはふさわしくないんです。ピカソを見て「この絵の作者は目がおかしい」と言うのと同じなのね。制度を否定する作家の作品を制度的に解釈したら、デュシャンの『泉』はただの便器になっちゃうのね。ただ、大部分の「文法のまちがっている作家」は、単に日本語を知らないだけで「書けるものなら正しく書きたい」と思っているのかも知れない。それも一つの実存的状況であることは、否定できないと思うのね。

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2009年1月11日 (日)

「赤い橋」の証言ビデオです!

 メール返とかいろいろ

 星桜さん、いつもメール、ありがとうございますheart04 また3時間睡眠の日々に戻ってしまい、返信が遅れたりでごめんなさいsweat01 星桜さんも雪道には気をつけてね? 「赤い橋」、マヂで滑るから……。

 machuさん前回の「赤い橋」の携帯動画にご出演いただき、ありがとうございました(謎の埼玉県民として)shine 今回も思いっきり出演していまふ……ごめんsweat02 旦那さんに橋のこと、聞いてみましたか? とにかく滑るので、ボードの行き帰りには注意してね。あのへん、ハンドル切った拍子に一回転しちゃう車とか横転する車とか多いから……。

 動画は縮小表示になっているので、よければこちらフルバージョンをお楽しみくださいね。音楽とかなんでかマヂ小さいannoy 音量、マックスで聴いてみて?

 昔から文学批評をしていた私

 私の高校の先輩って芥川賞作家やら大宅壮一ノンフィクション賞作家やらいろいろいるのだけど、私たちの世代はダメ世代なので、かつて大宅賞作家を輩出した文芸班も生徒会の策謀でつぶされたのね? 私は部外者だったけど、居場所をなくしてからというもの、文芸班で居候してたから、その最期の日を目撃してしまったんです。その件、面白いから小説に書きますね。そんなにかしこまった小説ではなくて、気軽に読める系のオンライン恋愛小説という形で。そんなに深く考えないで読めるから大丈夫ですwink 私が本当の意味で自分自身を開陳してしまったら、たぶん、そんな小説、誰も理解できないと思う。でも、私のいう文脈での「文学」とか「芸術」って、むしろそういうものだと思うの……。

 さて、高校時代、私は友だちとグルになって他校の生徒の作品をいじめてたのね? 人様の詩とか小説とか、片っ端からツッコミ入れて最後にはご丁寧に全文添削……かなり悪質な嫌がらせだねsweat02 当時の私がどんな小説を書いていたのか、その一節を引用してみるから、意味とか理解するようにつとめてねhappy01

 (…)これから語られるであろう神聖なる歴史は、汚辱に満ちた――しかし、静謐なる――過去の詩的空間における、耽溺的な、しかし、決して余人には窺い知る事のできない『永遠の恋』に緘黙した――だが、これを玩弄した――二人の兄妹による華麗なる円舞の舞台であり、それは、煉獄より響くモテットの、反面、狂い咲く可憐な薔薇の花弁を散らす死の影の快楽にも似た、泡沫の美しき童貞の記憶を呼び醒ますであろう。(…)

 ちなみに、原文は旧字、旧仮名遣いなのねsweat02 私の教え子で、私立の特進に進んだ高1の男子がいたのだけど、彼はゴールディングの『蝿の王』を読んで、「冒頭から何を描写しているのか全然文章の意味すらわからない」 って言ってたのね。フッ、甘いのよ。私の文章なんてゴールディングの100倍はむずかしいのよ(つまり、ノーベル文学賞を超えてるのね)? あと、私の意見では、『LOST』ってドラマは『蝿の王』を翻案したものだと思うのだけど……ちがうの? そんな私の高校時代の愛読書はヘルマン・ヘッセの『青春の惑ひ』(『デミアン』といったほうがわかりやすい?)でした。ホントだぉ!?

 『デミアン』はユング的な世界観の作品なのだけど、ユングってやたら読まれてたのね、うちの高校では。国語のテストにも出たし。私はその後、なぜかフロイト派に回帰していくのだけど、どっちにしても構造主義的なものの見方をしていたのね。今の実存主義くずれとはちょっと違ってたの。一昨年、私の中で急にユングがリバイバルした数日後、日本にユングを紹介した元文化庁長官の河合隼雄(日本初のユング派分析家なのね)が亡くなりました。小説『Mother』はその頃に描いた漫画を文章に起こしたものなんです。

 当時は実存よりも構造に着目していた私は、よせばいいのに、その構造に優劣の差をつけていたんです。実存が論証を必要としないのに対し、構造って「実存の平均」を論理的に説明しなければいけないんです。この「平均化」というのがクセモノなんです。確率論の帰無仮説の問題と同じなのね。事物の現在性や矛盾を記述するのに向いてない気がするのね。その件についてはノーベル物理学賞をとったジョセフソンも「意味の無意味化」として問題提起しているのだけど、統計平均をめぐるファインマンジョセフソンの視点について、私は去年、大学で確率論を教えてる先輩と話したのね。教授、確率論を教えてるくせに「確率という考え方そのものが恣意的だ」って言ってた気がする……。ちなみに実は「隠れた変数」論者なのね、教授。

 今日は文学論じゃなくて私の過去のお話になっちゃいました。こんな奴だったのね、高校時代の私って……sweat02 変人高校だったしね……

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2009年1月 9日 (金)

批評の問題について

 コメ返と追加動画だぉ

 machuさん日蓄さんから「赤い橋」の携帯動画版へのコメをもらいました! machuさん、なんとこの橋のそばに車を停めて見に行ったこと、あるんだって……。詳しいことはお二人へのコメ返を読んでね。この橋、都市伝説はともかく、冬はとても滑るんです。ダム湖にかけられた高い橋なので、吹きさらしなんです。知らない人は直線だからってスピードを出して事故を起こすのね。そのことだけは注意して下さい。なお、冬のダム湖は全面凍結です。落ちたら助かりませんから……。

 なお、動画のオリジナルページはこちら。できればこちらから大きな画面で見てね。でも、なんでか音が小さいので、ボリューム最大にして聞いてみて下さい。編集段階ではほどよい音量なのにねannoy

 今日も批評の問題をお話していい?

 中学の文芸部員をしてる爽さんも言ってたことだけど、文学作品に対する批評って、時としてなんだかよくわからないことになるケースがあると思うんです。まず、普遍的形式というものが存在しないとすれば(または普遍的形式に追随することに価値がないとすれば)、批評というのは結局、作品にあらわれた事実(普遍が存在しない以上、客観的事実も存在しないのだけど)を書くことしかできないのね。特定の実存をどこまで理解できたか、せいぜいその分析を主観的に述べるのが限界なんです。または実存の比較という視点もとりうると思いますけれど、そこに優劣をつけるのは系を明らかにしない限りは根拠薄弱なのね。ついでに、その系の正しさを自ら論証することはできないので、批評者自身、どこまでも主観的で実存的な批評しかできないという、中心のない等方的な世界像が浮かび上がってくるんです。「正しさ」という概念を放棄しないと、この問題は結論が出ないのね。矛盾や曖昧さを許すことで、逆に事実をより正確に記述することができる(全体性を保存することができる)とすれば、実存内部の論理の矛盾を批判する(形式批判)は意味をなさないのだから、批評家はこの際「客観的な」とい偉そうな形容動詞をつけて批評するのは慎んだほうがいいのね。

 とすると、客観的な真実は存在しないという、メタ倫理学の非実在論的な結論が逆説的に「真理」ということになるのだけど、するとゲーデルの自己言及命題のように「真理が存在しないという『真理』が存在する」という矛盾が生じるのね。ゲーデルの不完全性定理の場合は「私を証明することはできない」というパラドックスでした。それは「真理を証明することはできない」と言い換えてもいいのだけど、すると、「真理が存在しない」と考えること自体が矛盾を孕んでいるということになるのね。矛盾許容的な体系を考えるか、命題を外部からメタに構造化する体系を考えるしかないのね。「真理とは私だ」という仮象を積極的に使っていくなら、それは能動的ニヒリズムの一種だと思う。けど、それはまだ自覚してるだけいいと思うんです。問題は無自覚のうちに「真理」を「制度」化し、それを真剣に信じきっている批評家がいるらしいということなのね。

 眠いから、寝るねconfident おやすみ、みんな……sleepy

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2009年1月 8日 (木)

「赤い橋」のリアル携帯動画です☆

 「赤い橋」の目撃証言!?

 machuさん、ボードへ行く途中に「赤い橋」を見たって本当? 詳しいことは言えないのだけど、machuさんのために、今度は加工なしのリアル携帯動画で「赤い橋」をお届けしますね。撮影したのは私と高校生の日蓄さんです(おつかれ)。まさか、自分の撮った動画がこんなんになっちゃうなんて、日蓄さんも想像してなかったと思ふ……。今まではみんな私がサントラも書いてたのだけど、今回は動画編集の技術上の問題から、ニフティが提供してるネット素材からブラッド・サックスの曲をかぶせちゃいました。すごくマッチしてなくね? で、下の動画は縮小版なので、できればここをクリックしてオリジナル映像と解説を読んでねpaper なお、machuさんのコメと私からのコメ返はここここ

 なおですね、「赤い橋」というのはオンライン小説のお友だちとやってる企画で私が担当しているホラー小説のことなのね。実在の「赤い橋」と、それをめぐる都市伝説を下敷きにして書いた実話系フィクションなのね……。

 文学批評を考えてみる

 突然、お堅いお話でごめんね? ここって、わりにオンライン小説関係の方が多いので、私も少しは文学のことをお話してもいいのかしらと思うのね。これまでは YOSHIKI とかをずいぶん語ってたけど、まんざら無関係でもないのね。YOSHIKI がインディーズ時代に「どんなにいい曲でも聴かれなければ意味がない」と考えて、メチャクチャなことして関東三大粗大ゴミバンドと呼ばれてた件って、私にとってはとても興味深いことなんです(詳しくはWikiの記事を読もう)。YOSHIKI の場合はともかく、私もわざわざ下らないことして、自分を貶めるようなこと、結構してたのね? だから、結構、人生捨ててるみたいに思われてたのだけど、単純にそういうわけじゃないのね。単に他人の目から見たら捨ててるように見えてるだけで、本人は捨てるほどの人生なんて最初から生きてないのね。

 というわけで、問題はひどく実存的なのだけど、とりあえず、今日は批評のお話。高校時代、私は河出書房新社の「世界大思想全集」の「哲学・文芸思想篇21」というのを読んでたのね。所収のディドロの『美の起源と本性にかんする哲学的探求』の冒頭部分にこんな一節があるんです。シンメトリーを美だと判ずる人に対し、アウグスティヌスが「シンメトリーがなぜ必要なのか?」を問いかけたところ、相手はこう答えます。

「それが気に入るという理由によってだ。」

しかし人びとに気に入るものと、気に入らないものとを判定する審判官として名乗りを上げるとは、一体君は何者なのだ? 君は一体何を根拠にしてシンメトリーがわれわれに気に入るということを知っているのだ?

 「美は美しいから美だ」というトートロジーの問題って、昔からあったんですね。美とか価値とか意味とかいったものが本当に普遍的なものなのか、もっといえば、常識とか良識とかいったものにどういった正当性があるのか、あるいはそれは単なる共同幻想なのか、もっといえば、人々が良識と信じるものが、実は人々が良識を定義する系と本質的に矛盾してはいないか――そういう問題が考えられるのね。そのへんについては南博の『社会心理学入門』(古書でしか買えないと思います。私も高校時代に昭和33年第1刷のものを古本屋さんで買いました)に面白いことが書いてあるので、機会があったら紹介しますねbook

 さらにディドロはいくつかの問題提起をしているんです。ディドロがどう考えたかより、私たちがどう思うのかが重要なので、問題提起だけをひろってみますね。

 後者はまず、プラトンや聖アウグスティヌスが指摘したように、ある事物は美しいがゆえにのみわれわれに気に入るのではなく、われわれに気に入るから美しいのだと主張しているかに見受けられる。(…)

 「それは美しい」ということは、自分が是認するか、あるいは自分に快感を与える何かをそこに認めるということをいっているのだという点で、みんな意見が合致するだろう、と。

 何かを批評しようとする時、その根拠がどこにあるのか、というのは意外とむずかしいことなのだと思います。前に書いた普遍的形式の問題もあって。そこで多くの場合、多数決に逃げ込もうとするんです。それが客観的な意見だと信じ込もうとして。近代の芸術って、おおむねそういう状況に対抗して生まれてきたといって差し支えないと思うのね。ポピュリズムの中に無条件に安住していられるのは、つまるところ社会適応できてる証拠なのね。社会と自分が同じ線上にいるという同一性が獲得されてるのね。それがヤバイわけで、そのヤバさ加減に気づいていない人は、相当だまされちゃってる気がする。その状況をデュシャンは「芸術において遺憾ながら私は民主的ではありえない」的な言葉で表明しているのだけど、大衆が抱く普遍幻想が仮象であるにも関わらず、多くの人が単純に数の論理からそれを真理だと錯覚している状況を批判していると解釈できるのね。おまけにその数の論理でさえ、もろにバイアスかかっちゃってるってことに気づいてない……。そんなわけで、私は基本的に多くの人が納得するような批評をしてもしょうがないと思うのね。だって数が信用できないのだから。デュシャンはまずその状況を改善するために、「すべての人が芸術家に変容する」ための思考ゲームを仕掛けたのね。それをどこまで見抜くことができるか……。それは壮大なゲームなんです。私はそれを完成させるためにここにいるのねshine

 みなさんのこと

 ネット仲間の生時さんクローン病で大変なことになっているんです。クローン病は難病指定を受けている特定疾患なので、公費負担による医療補助がつくのだけど、お仕事のこととか、なんだかとても大変そうなんです。私はなんとかしたいのね。どうにかしてあげたいのね……なんとかできたらなんとかするねsign01

 あと、星桜さんの小説の動画、どうしよう? 素材、撮れましたか? Dさんのピアノ動画もほしいな……。

 

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2009年1月 7日 (水)

文学における形式の問題を考えるね

 まずはお写真ですshine

   Hosi_004

 星桜さんからお写真が届きました! さっそく「みんなのアルバム」にも飾らせていただいたので、よかったら見てみて? 私、高校時代は写真の場所の界隈でぶらぶらしてたんです。そんな思い出にも触れてあるので、よければぜひ。ディープリンクはここ。テカ、星桜さんがこの写真を撮った一日前に、私は初詣動画を作るために同じ場所を訪れてたんです。ちなみに、星桜さん企画小説のPVのテーマ曲、私のピアノ曲にするんだって。どんなPVになるかはこれからのお楽しみ。星桜さんと写真とか動画を選んで作るね。爽さんホムペにも貼るから、見てねpaper 私の「赤い橋」の公式PVはみんな見てくれたみたい。お疲れさまsweat01

 私は爽さん派に近いな

 さて、私が昨日、象徴主義的な文学論を語ったら、爽さん日記で小説のことを語っていたのね。とっても奇遇だねheart02 で、爽さん的には「こう思う」というお話が熱心に書いてあって、私はとても面白く読ませてもらいました。特にここ。

読者を楽しませることも大事だと思うけどさ、それ以前に作者だって楽しんで書かないと面白くないでしょ?
書いてる自分自身が楽しくもないのに書く小説なんて、学校から無理やり出される宿題みたいなもんですよ、私にしてみれば。

 私はそれならそれでいいと思うのね。けども、一般的に公開して評価を求めると、いわゆる「まともなご意見」が寄せられて、怒られちゃうのね。「なってないぞ」って。何と比較してなってないのかというと、おおむね既存の出版物とそこで用いられる形式との比較なのね。それと比較することの意味をまず考えないと。その場合、まず、小説が自由な芸術の一分野であり、芸術の一つの極点が実存の追求にあるという前提に合意するかどうかなのね。なので、日本語なんてまちがっててもいいの、別に(すごいこと言ってるね)。意味も通じなくて全然いいのね。でも、大手サイトでは「意味の通じる物語を登録してね」という決まりがあるので、また別の合意が必要なのだけど。 

 形式の主観的理解の問題

 形式はおおむね最終的には感情において理解されるのだけど、ここで問題になるのは、感情とか感性というものの実存的・主観的な性質と、それが作用する主体の内面において先天性・普遍性がどう担保されるかということなのね。これはすでにパラドックスなので、結局、私の思うところでは、主体の実存的性格によって理解されるところの先天的形式というのは存在しえないと思うのね。形式が喚起する特定の観念とか感情、あるいはキルケゴールのいう感覚的天才性って心理学的にはブラックボックスの中なんです。実際は、ある理解のフレームを与えられた個人が、その文脈の中で形式を理解しているに過ぎないんです。例えば、長調が喜、短調が哀といったような音楽の理解の仕方も、既存の制度に実存が追従させられているだけで、まったく無自覚な状態だと思います。困るのは、それが当然のトートロジーだと信じ込んでいる批評家がいることなんです。芸術の実存的性格を承認する場合(批評家はまずこの点に合意するのかしないのかを明らかにしなければならないのね)、芸術家は時に客観を根拠とせず(ヘーゲル的には für sich )、絶望的孤独のうちに自己完結して差し支えないと思うのね。ただし、主体の現在性(バタイユの être-sans-déla のようなもの)には客体の関与が影響するため、それは主体の内面の投影としての「自覚された世界」の存在を前提にしてはいるんです。どんな場合でも主客は直接存在(カント的な「物自体」 an sich )としては捉ええず、いかなる形であれ、実存内部の自覚が高度に表明されたものこそが借り物でない個性的な作品だと言えるんです(それを認めない芸術的文脈も存在する)。その場合、制度的な文法に依拠した形式や構造の反映が希薄だったとしても、何ら問題にならないんです。デュシャンの便器みたいなものね。形式によって日常的文脈の中で理解される芸術は「秘教的」なデュシャンの言葉を借りれば、それこそ「民主的」な芸術の凡庸さを示すものだと思うんです。

 このブログを読んでる中学生の人とかがいたら、ちょっとむずかしいね。でも、高校へ行けば図書館にこういう本、あるから、いろいろ読んでね。私も高校時代に読んだ……。そして大学の哲学講義の(なぜか)ヘーゲルで満点をとったのだけど、私は既存の哲学者の説なんてどうでもいいと思ってるのね。私は私の考えたことに従うだけだから。ただ、わかりやすい言葉がすでにある場合は、それを使ったほうが説明しやすいのね。そんな私ですが、高校時代はバリバリに形式美学的なアリストテレスの『詩学』を引用して他人の作品をケチョンケチョンに批判していました。愚かでした……。でも、私は形式の象徴的効果については今でも信じているんです。それは試行錯誤する価値があると思う……。

 あとがき

 というわけで、今では弱い子を装ってる私だけど、昔はけっこう怖かったsweat02 見かけも派手で怖かった……。「りさこの行く店は族のたまり場」とか言われて……。今はいい子ぶってるから大丈夫ですpaper だからmachuさんと話してて楽しいのかしら……? さて、また動画とか作って載せるね。むずかしいお話、やだねsweat01 ごめんねweep

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2009年1月 6日 (火)

初めて文学を語りますね

 くだらない小説、書いてますsweat01

 さて、今回、初めて小説のことを語りますね。4月に私の紙小説の新刊が出るのだけど、それに先立って、ネットでいろいろ試してみたんです。あまり堅苦いのを書いても仕方がないと思い、漫画原作の小説とか、中高生向けに書いたものとか……そんな感じのを大手サイトに投稿したのね。細かいことを気にしない方はわりと楽しんでくれたのだけど(それはそれで正しい感じ方なのだけど)、見る人によってはずいぶんと不満が残る作品なのね、特に「恋ひな」と「ピア恋」。形式的に不完全なんです。読者数は期待通りの数が出ているので、費用対効果という面では悪くないのだけど、正直、私の文学観からすると、もはや耐えがたい作品になっているんです、二つとも。内容についてあえてどうこうということは思わないけれど、作品としての質がひどいのね。もっとも、「内容的に健全なサイトからお引取り願いたい」という声がないわけじゃないのだけど、そう感じた人はどんどん当該サイトの管理者さんに通報して下さいね。私はこの点に関して、自分自身の倫理を譲ってもよいと考えています。実はすでに私自身、管理者さんにメールで自発的に年齢区分などについて質問してみたのだけど、個々人からの質問に対応しきれないのかもしれないですね、管理者さん……お忙しくてthink

 そもそも私にとって小説とは sign02

 小説は一面的な芸術分野で、私にとってはひどく不満のある表現様式なんです。私は小説よりも学術書を好んで読むのですが、たまに小説家よりも科学者のほうがいい文章を書いてると思う時があるんです。知的に偏向した言語表現の分野において、論文が小説をしのぐのはさほど不思議なことではないのかも知れません。小説があらわそうとする本当の内容はもっと無意識的かつ総体的なもので、むしろ音楽や絵画がそれをまっとうしているのかもしれないですね。なので、私自身は映画という手段に注目しています。ヘーゲルは『美学』の中で音楽の際立った主観性と抽象性について感情美学の立場から論じていますが、反対に言語表現を具体性の極に置いています。つまるところ、言葉に翻訳できないものを語りうるのが音楽なのね。このようなロマン派美学だと、音楽というのは全体性を感情において理解せしめる素晴らしい表現手段ということになるんです。その意味で、詩というのは音楽の精神に近いのね。全てを語らないことで逆に全体を暗示してみせたり、象徴を用いて特定の感情を喚起したり……。私が小説「Mother」でとりあげたマラルメイェイツについてはこう解釈できると思うのね。

 形式美学的解釈をしてみる

 ところが、ワーグナーの天敵・ハンスリックロマン派的な標題音楽を攻撃した絶対主義の信奉者なんです。私の解釈では「普遍的な美は感情や意思ではなく、形式にこそ宿る」という意味だと思います。実は私、学生時代は圧倒的に絶対音楽に傾倒していたんです。芸術性という文脈で今日的な意味をもつのは、どちかというと感情主義より絶対主義かも知れない。でも、私は絶対音楽の巨峰としてのバッハも好きだし、ショーペンハウエル学徒としてのワーグナーも好きなんです。というより、この二人しか聴かない。結局、形式が最終的に感情あるいは内面的主観性として理解されることを考えると、形式にさえメタな感情が潜んでいるのかも知れない。つまり、「象徴」なんです。私は象徴主義的な見方でものを理解をしているのかもしれないですね。だからデュシャンが好きなのかも。

 ゆえに、文学も象徴であるべきだと思うんです。でも、それをやると大衆がついてこれないので、お金目的とかエンタティメント目的なら、サンボリズムを前面化するのは無意味かも知れない。でも、私はそういう意味不明なものに多少はトライしてみようと思います。それがネットで最悪な台本小説(地の文や情景・心理描写が少ない小説を揶揄していう言葉だぉ?)を書いている人間の言葉なのかしら? てか、いきなりむずかしいことを語りだして、みんな、引いてない? やだぉ、引いたら? お友だちをなくしたくない私を見捨てないで……weep

 お詫びというわけじゃないけど、お写真

   Sakurazaka_002

 では、今日のボーナス画像は「冬の桜坂」ですshine 須賀さん、昨日のホラー動画、怖がらせちゃってごめんなさいsweat02 だから、前に「田舎対決」でご紹介した「春の桜坂」と同じ場所で撮った写真、つけてみました。クリックすると例のかっいここフレームで拡大されるので、面白半分に押してみてね。星桜さんはこの場所、知ってる? いいところだぉpaper

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