クローン病の生時さんから連絡をもらいました
私のネット友だちで、レジェンドというバンドをしていた生時さんという方がいるのだけど、最近、消息が絶えていて心配だったんです。生時さんはクローン病という国の特定疾患に指定された難病に罹患していて、勤め先の仕事もままならないほど大変なんです。もちろん、治療については公費負担助成の対象扱いにはなっているのだけれど、どうも実際にはかなり大変らしいんです。男性では20代で発症する方が多いみたい(厚労省が運用している難病情報センターの消化器系疾患調査研究班の報告を見て)。
お金持ちの人、お宅のベンツを売って一人でも多くの人を助けてあげて! 私は自由で公平な競争や、努力や才能の結果だなんて、そんなどうでもいいものを尊重するよりも、不公平でもなんでも、お金がなくて困ってる人のところに、余裕のあるところからお金をまわしてあげることのほうが大切だと思うのね? 困ってる人がいるうちは自分だけ豊かな生活をしちゃいけないと私は思います(王監督のお父さんは「一人の人を喜ばせるよりも、みんなの幸せを考えなさい」って言ったのね
)。けど、お金持ちがお金を使わないと回っていかないのが資本主義なのね。貧乏人にお金をわたしたら溜め込むだけで使わないから。だからいつまで経っても世の中がよくならないんじゃないの
資本主義経済なんてどうでもいいから、貧乏人にお金をよこしなさい
一人の人がどんなに努力しようが偉かろうが、他の人の何千倍も報酬をとるのはまちがってると思うな、私。同じように、日本と同じ仕事をしても中国の農村ではその何分の一の給料すらもらえないっていうのは許せないのね? 同じ仕事には同じお給料をあげたいんです。ちなみに、私も貧乏時代は自分の楽器を二束三文で売って国民年金保険料に当ててたのよ……
そんな生時さんから、ピアノ動画「いばらの薔薇」にコメントをいただきましたので、ここでご覧ください。私はレジェンドの演奏動画も見てみたいです
もちろん、Dさんのグランドピアノ演奏動画も……今度はバッハに挑戦してくれるらしいです、いつか。
新刊の予備知識としまして
5月に延期となった私の春の新刊本ですけれど、内容はショッキング・サスペンスなのね? 生時さんたちがいつも読んでる私のオンライン小説とはちょっと違っていて、なるべくライトには書いてあるけれど、あくまで紙小説の水準なんです。当初はあくまでも軽く読める文体でと思っていたのだけれど、今では「もっと詩的に」という気持ちがとても強いんです。だけど、結果として軽めになりそう……。そんなに重くない感じ。普通のホラー小説とかと大差ないと思います。
もともと、『エステル・アシュケナージのおうち』と同じで中高生向けの本だったんです。それを読んだ当時15歳の男子中学生は「美しすぎる
」と言ったのね、ラストシーンについて。てことは、中学生でも理解できる感じの内容なのね。主人公の「未紗都」という少女には実在のモデルがいて、その子は最後までぐいぐい読んだくせに、「こんな小説、もってたら呪われる」って言って印刷した原稿をほかしちゃったのね
いや、そこまで怖くないからね……
当時、この小説ってわりと狭い空間内で展開するオカルト色の濃い内容だったんです。それが警察小説の要素が加わってきて、次第に世界史的な陰謀やデュシャンの反芸術思想、論理学といった設定がからんできて、最終的には世界そのものの実在と非実在、意味と虚無を問いかける哲学的な小説になってしまったんです。結果として、バタイユが「呪われた部分」「ポエジー」と呼ぶ領域に光を当てた形になっているといえばいいのかしら? 私は前から数理情報学の教授(こないだビアリストーク大学2008年優秀研究者章を授与されたの)と「悪」の可能性について話してきたのだけれど、「悪」と見なされるものがもたらすもう一つの側面をよく考えてみることが大切だと思うんです。私はそれを文学的な文脈において問いかけるの……
私がむかし書いたもの
でも、私の思想って、ほとんど高校時代にそのきっかけがあったんです。母校の図書委員会では、バタイユやブランショが読まれていて、妙に詳しい人とかいたのね。しまいにはジョルジュ・バタイユは「ジョルバタ」って略されて、さらに「ジョル端康成」っていうペンネームを名乗る輩までいたの……
ノーベル賞作家をバカにしてますよね
もっとも、私は各賞を最初から小馬鹿にしてるいけない子なのだけど……。誰であれ、そんな名声に踊らされて「制度」の一部になるなんて、私には信じられないぉ……
そんな私の学生時代の小説、今日も見せますね
新刊とはあまり関係ないのだけど、昔の作風とかが出ていて面白いかもです
子は愛することを禁じられ、だが、同時に彼女を愛さねばならぬ。愛は過酷な束縛であり、堅牢な道徳――忍従と隷属を信条とし、犠牲を怠れば罪される――にほかならない、彼が捧げた無上の愛は、母親に対するものであったろう。愛とは服従の証しであり、厳罰の誓約である。人に注ぐことのできる愛憎の気持ちには慎重でなくてはならない。しかし、このような戒めを罪の意識、あるいは罪悪の名で呼ぶことは、間違いであったろうか?
この一節って、やっぱり実在の人をもとにした登場人物について述べているんです。幼なじみの画家のことなのだけど、私はこの画家さんについて女子美の教授と一緒に精神分析しちゃったこと、あるの……
我々は彼の詩をそのような無残なものにしてはならない。虚無の支配する形而上の世界に、あるいは拒絶的な天上的陰影に、あるいは耽溺的夢想の泥濘にそれを置き去りにしてはならない。空虚な天に呼ばわる人、陰鬱な闇に立つ人、ぬかるみに自らを映す人は不幸である。なぜならば、いずれも自らを知る手段ではないからである。無いものを欲することができぬように。
人は生涯を通して自己の姿を求める。いかなる困難の道程においても、人は故郷を目指す。同じ故郷の人に巡り会うことは、あるいは、幸いである。
この部分って、今の私の思想とは少しちがうのかも。文中の「彼の詩」はノヴァーリスの『青い花』(原題『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』)のこと。私のネット小説「Mother」にも出てきました☆
それでは、またね
明日はまた動画を流そうかと思っているんです。私、最近、動画作りにハマっちゃって……。でも、私の目的はいつでも世の中を不幸にしている悪い人たちを倒すことにあるんです
そのために、もう少しだけ私の贅沢を許して? そんな罪の意識のせいでしょうか、私は貧乏時代もユニセフに寄付してたのね……。私は貧しい人たちや居場所のない人たちのことを忘れたことはないんです。それ以外は最低最悪な人間なのね
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