ギャラリー、つくりました☆
すぐ右の「ウェブページ」の欄にギャラリーを置きました
絵や小説の原作原画など、いろいろなものが置いてあるので、立ち寄ってみてくださいね<(_ _)>
これは入社試験なの?
「シカゴに調律師は何人いるでしょうか?」という設問にどう答えるか――そんな問題、よく聞きますよね? 最近、大手転職サイトさんが「地頭力」というテーマで、そんな話題を取り上げていました。近頃、ビジネスの現場で話題になってるみたい。何年か前にマイクロソフトの入社試験にこれに近い口頭試問があったとかって聞いた覚えがあります☆(うろ覚えですけども)
ちなみに答えを知りたい方は「転職サイトDODA」をクリックして、そちらで答え方を勉強してくださいね。なお、私は現実にからっきし興味のない人間なので、調律師の数をどう数えようが勝手にしてください、と答えます(そして「このたびは貴殿の意に沿うことができず、申し訳ない結果となってしまいましたが」みたいなお手紙が届くのね
)。
さて、私の会社なら入社試験は「人々は下流生活を続けるべきかどうか」ですね
この問題は正しい答えじゃなくて考え方のスキームを構築できるかが問題なのだから、とりあえず仮定の中で返答すればいいのね。
そこで「当面、世界の富は有限である」「大部分の人間には理性や良心が備わっている」と仮定しましょう。さて、下流の人がそこから脱するには、(a)自国経済全体が成長する、(b)中流、上流が占有する富を分配する、(c)他国から富を収奪する、(d)通貨の安い他国に移住する、の4択なんですね。でも、人間には理性があるから、(c)は無理なんです。(a)にしても、ただでさえ貧困地域があるのに、その上、自国経済を発展させるには、有限な資源をどこからか取り返すか収奪するしかないから×。(d)は円の力をバックにして物価の安い国で食糧買い占めたりするのと同じだから×。うんうん、理性ある人間の答えは(b)かー……、って、それは社○主義!? いやいや、社○主義は葬り去られたはず……。
そっか、前提がいけないんだ。「大部分の人間には理性や良心がある」がまちがってるんだ☆ いやいや、「世界の富が有限」なら、なんで世界の金融資産がGDPの4倍にふくらんでるってゆうの!? あんなの、どうにだって作れるんだから、信用取引なんて。いったい、ないのはお金なのか、信用なのか、物資なのか、それとも理性なのかが問題なんです。 とりあえず、信用と理性はないですよね、ぜったい。みんなが欲望を満たそうとがんばれば、その分、社会がよくなるっていう非科学的な発想は今時ちょっと……。あ、そうか、この手の問題って科学性とか数字の正確さを問うものじゃないから、論理が大事なんだ☆
「人間には理性がない」という前提だけでもだいぶ問題は前進です。とりあえず社○主義と共○主義の誘惑からは逃れられる……フゥ。次いで「理性がないから自国のために資源を収奪してでも経済問題を解決する」もOKですね☆ だから生活レベルを落とさなくても大丈夫
でもでも、それだと法律と矛盾しちゃうじゃないですか? だから、法律では良心とか道徳を規制しないんです。「法は誰でも守れる最低限度の規範」なんだから。やばかったら変えちゃえばいいんだし。そうだ、忘れてました、「人間には理性がない」という初期条件を……ケダモノだ
とりあえず、ほったらかしの共○主義もある意味の「コモンズの悲劇」なのだけど、資○主義の「努力だ、成長だ、発展だ」みたいな倫理も、「囚人のジレンマ」なんです。お金を手放せなくなってしまった悲劇、成長にしがみつく悲劇――成長や努力自体が平和を妨げているんです(Wikiでは核兵器の喩えが使われています)。
ハァ、そうとも気づかず、私は子どもに「人より努力しよう、そしたら報われる」なんて愚かなことを教えていたのね……。報われた分だけ、人殺しの仲間になっちゃうとも気づかずに
努力の方向性がいけないというより、人間は罪を犯さずには生きられないという自覚を学ばないと。
究極的には、谷川俊太郎が『この星と、ともに生きていくために』で言ってることみたいになっちゃうのかも……。同じ言葉を、私は知り合いの数学者からも聞きました。
ヒトが滅んでも地球上の生物が滅ぶわけではない。むしろ地球をひとつの生態系として見た場合には、ヒトの滅亡こそが”地球にやさしい”ということになりかねない。ヒトがその発生のはじめから反自然に向っているのは明らかだから。文明はヒトには恵みであるかもしれないが、自然に対しては罪なのだ。
環境を語る言葉が急速に力を失いつつある。誰もが自分のエゴイズムに目をつむっているからだ。エゴイズムは一人ひとりの個人にひそむとともに、国家という集団のうちにも、種としてのヒトという集団のうちにもひそんでいる。
人間がひとりもいない地球を地球を夢見ること。むしろそれがすべてのはじまり。
(谷川俊太郎『この星と、ともに生きていくために』より)
なんだか宮崎アニメみたいな話になっちゃいましたね。もっとも、人間にとっては、地球なんかより人類の存続のほうがはるかに大事なんだけども。同じように、「罪にまみれた人類なんてどうでもいい、もう地上から消えたい」という人もいると思うんです。でも、許されないんです、それは。「人類の存続は絶対」という仮定(この仮定を正当とする根拠はないけれど)の中での議論だから、それ以外の自由はないんです。だから、人類であることの罪悪感に耐え切れなくなる前に何とかしないと、人類そのものを罰しようと決意する人が出てきても、私はおかしくないと思うな
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