なつきさんの愛した古墳さん
大好きな“あの人”のお話
今日は、おなじみの“あの人”のお話をするね。私の大好きな“あの人”の名前は、マチ●ミ……ではなくて(ええーっ
)、なつきさん(一応、仮名)というの
もちろん、マチ●ミさんも好きだぉ![]()
そんななつきさんに古墳さんの動画を見てもらったの。そしたら、こんなお返事をもらったの![]()
川柳将軍塚の動画見ました!
なんかすごい懐かしかったです。
あの頂上あたりでお弁当を食べたりした記憶が。
ここ古墳なんだー。って不思議に思っていた記憶が。
また、私も行ってみようかな。
そうなの、なつきさんも昔、古墳さんに遠足に行ったんだって。古墳さんの名前は川柳将軍塚古墳さんというの。信州では二番目に大きい前方後円墳さんなのね。今ではすっかり木立に覆われて、山と一体化して静かに永遠の眠りについているの。緑の丘がとってもかわいいの。頬ずりしたいくらい……![]()
古墳さんはこんな人
4世紀半ばから5世紀にかけて、日本のことなんてほとんどまったくわかってない古墳時代のさなかに、この古墳さんは生まれたの。当時の信州の北部は科野(シナノ)と呼ばれていて、そこの偉い人(たぶん、科野さんなどという名前だったのね、いや、本当に
)が古墳さんの中で眠っていたと考えられているのね。のちにこの科野さんは勢力を拡大して、いつしか信州全体が科野と呼ばれるようになってしまったの。ちょっと漢字がダサイので「信濃」に変更させられちゃったけど……
この科野さん一族はいろいろあって朝鮮半島に渡っちゃったの。そこで朝鮮の人と結婚して住み着いちゃった人もいたのね。のちに朝鮮半島の百済がピンチになった時、百済の王様は科野さんを日本に派遣して「助けてー」とお願いしてきたの。でも、日本、超リアクション薄いから
もらうものだけもらってのんびりしてたの(仏像さんとか)。それから時が経って、本格的に百済が滅亡しかけちゃったので、ようやく日本は朝鮮半島に出兵したのだけど、唐と新羅に返り討ちにあって、百済の女官さんたちはみんな海に飛び込んで死んじゃったの
科野さんたちはその時に日本に帰ってきたのね、たぶん。
その後、科野さんたちがどうなったのかは誰も知らないの。わずかな記録しないの。長野の科野本家は名字を金刺さんに変えて、気がついたら諏訪大社を支配していたの。善光寺を作ったのも一説に金刺さんだと言われているのだけど、善光寺さんに仕えている人たちの中には百済人の末裔だと名乗る人たちがいるの。私が考えるに、百済滅亡後、心に傷を負った科野さんたちの一部が長野にやってきて、善光寺を作っちゃったの。そこに百済からもってきた仏像さんを祀っちゃったのね
もっとも、大阪に住んでいる百済人の末裔の伝える説では、善光寺は百済王家のお寺なんだって。すごいね。でも、信じる人はあまりいないの……![]()
実は、善光寺と諏訪大社をめぐる恐怖の背景があるの(たぶん)。それは古事記あたりが書いてるてきとーな神話とは別な、もっと生ぐさい政治がらみの……。でも、それは内緒なの。テカ、ごめんね、興味ないお話ばっかしちゃって?
私ってKYだから……![]()
ぢゃね![]()
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