バッハとYOSHIKIの微妙な関係
今日はYOSHIKIとバッハです![]()
みなさん、お久しぶり
ピアノ協奏曲の続きを作っているこの頃ですが(いや、そんなことして遊んでる場合じゃないのだけど、楽しいものだから
)、今日は生時さんのコメにもあったバッハさんについて、私の体験談なども交えてお話しますね。ロックしてる生時さんは、Xの『ROSE OF PAIN』にも使われている小フーガが好きなんだって
そこで今日はとてもめずらしい動画を見つけてきたので、ご紹介しますね(おどろくぉ
)
うわー、浅田真央も尊敬する伊藤みどりが『ROSE OF PAIN』でスケートしてる
って、なんかこの動画、前にも紹介したね、どこかで……
で、この動画のポイントはみどりさんじゃないんです。曲のオケ編なんです。『ROSE OF PAIN』のオケverってYOSHIKI公認のも含めていくつかあるのだけど、どれも駄作ぞろいなんです。そこへいくと、ここで使われてるのって、誰が編曲したのか、最もオリジナルの個性を殺さずにアレンジした芸術性の高いverなんです(完璧ではないけれど)。ロックを無理やりオーケストラの音で埋めたようなのとは違うのね。どうせやるなら、こういうふうに作らなきゃ、と私は思いました
ちなみにオケと共演してるオリジナルの『ROSE OF PAIN』動画を下に貼っとくね。長いから前半だけお楽しみ下さい
ハンガリーのエリザベート・バートリーという悪女の極悪伝説に取材した曲なのね。私も小6の頃にお話で読んで「こんな悪い奴はやっつけないと
」ってマヂ思った……。machuさんが美貌を保つためにドモホルンリンクルをつけるみたいに、この人は若い娘の血をしぼりとってお肌につけていたのね
いけない奴だ……
それはそうと、この曲ってたまにライブだと下手~になっちゃうんですよね、Xって……後半でYOSHIKIがバテちゃうのはさておき、なんとなく全体にたるんじゃうんです、長い曲だし、ところどころむずかしいし(ギターが)。みんなもそんな動画を探してチェック入れてね
私はバッハ崇拝者なの
YOSHIKIってバッハから影響を受けてたって知ってましたか? いや、私もうろ覚えの記憶で発言してるだけの輩なのですけど
奇遇なことに、私も中学時代にバッハの『ブランデンブルク協奏曲』にツボってから、今日までずっとバッハとワーグナー一筋なんです。生時さんには申し訳ないけれど、ベト5(「運命」のことだぉ?)もトルコも聴かないんです
もう、ひたすらバッハ。バッハ以外はいらないって感じにバッハなの。なので、私にとってクラシックの9割はバッハとワーグナー
大学時代は授業中に「ブラ協」のスコアを開いて譜面を研究し、自動車教習所の待ち時間にフーガを書いていた私が選ぶバッハのベスト作品は『マタイ受難曲』BWV244の導入合唱です
高校時代は大フーガ(『幻想曲とフーガ ト短調』BWV542)の後半のフーガ部が一番好きでした。けれど、今はマタイの冒頭部の合唱に深い癒しを覚えるんです。魂が揺さぶられる感じなんです。一般的にもバッハの最高傑作とされている曲なのね。
さて、ここでショックなお話なのですけど、高校時代、バッハ事典みたいなのを読んでいたら「小フーガは偽作である可能性が高い」という一文を見つけてしまったんです。うわー、教科書にも載ってるあの曲がバッハの曲じゃないなんて
ちなみに「運命」もベートーヴェンが自分のおじいさんの作った主題をパクって大作化したものなんです。それを言ったらバッハの大フーガの主題もオマージュ的なパクリなのね……
ポップスでそれをやったらうるさくいわれるけど(私からすれ馬鹿馬鹿しい議論)、クラシックは主題の扱いが複雑で、その扱い方自体を作曲と呼ぶのだから、主題や動機をどう展開するか、それを示して見せること自体が一つの使命だと思うんです。全てのモチーフはお金とか権利とか個人の名誉の問題ではなくて、音楽全体の発展のための公共の財産だと思うんです。大衆化した音楽ほど逆にさもしいのが悲しいです……
ちなみにバッハはお上品なクラシック作曲家などではなくて、かなりエキセントリックな人だったんです。教会の会衆が神さまにお祈りするためにバッハはオルガンを弾いていたのですけど、もうガンガンと即興演奏入れまくって「どこでどう歌えばいいのかわからない
」と信徒の人たちがキレちゃったんです。とにかく複雑だったらしい、彼の曲……
大衆に媚びずに自分のスタイルを貫くところが好き
私も真似しなくっちゃ![]()
ケージなどもクラシックの系譜に含めていいとすれば、クラシックって最強に危ない音楽ジャンルだと思うんです。キレ方が違います
ポップスの人って、どんなにキレても結局は常識の範囲内に収まっちゃうんです、商業主義だから。キレてるクラシッカーはとことん真理を追求するので、下手すると演奏さえしてもらえないんです、曲。ポップスと違って、芸術音楽って可能性が無限だから、全世界を敵に回してでも自分を貫くキレた作曲家とか絶対にいると思うんです。ポップスって、定義からしてそれだと成り立たない存在だから。極論すれば「こうすればみんなが理解して感動するだろうな」っていう曲を直感的に作ってるだけなのかも知れない……おまけに作曲してる自分自身が「みんな」に含まれちゃってるから。だとすると、そこに何も新しい発見は存在しないような気がして。どんなに素敵な音楽でも、少なくともそれは芸術ではないと私は考えています。ただ、そうと知りつつ、そんな素敵な音楽を作り続けている人っているんです。それが無駄だと知りつつ、それでもその現実の生を受け入れて。結局、それが人間なのかな、と思います
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